安全は最終的に人の手にかかるもの

先週、後輩が交通事故で亡くなりました。スピードの出しすぎでハンドル操作を誤り、それが大きな事故へと繋がったと聞いています。ただ、亡くなった彼女は運転していたわけではなく、同乗していたとのことですが、巻き込まれる形で命を落とす結果となってしまいました。本当にこんなことがあるのかと今も信じることはできません。近年私にも様々な出来事がありましたが、これは一番ショックな出来事でした。事故により死亡する人は年間8,000〜9,000人と報道され、だいぶ減っています。私はよく“これだけ道をクルマが走っていて、クルマに乗る機会があって、または街を歩いていても側にクルマが走っていて、事故が起こるリスクは無数にあるのに、年間9,000人で済んでいるなんてずいぶんいいのではないか。なぜ交通事故の死者ばかりが報道されるのか。風呂場で亡くなる人は年間18,000人もいるのに、自殺する人は30,000人もいるのに、同じ命なら、事故ばかり騒がずにほかに減らす努力をすべきところがあるじゃないか?”なんて言っておりました。しかし、これは他人事だったからですね。もちろん、風呂場で亡くなる人というのは転倒だったり、気温差による心臓麻痺など(高齢者に多いらしい)原因があり、これらが起こらないように対策をすることも重要でしょう。あるいは自殺ならば多くの人がうつ病を抱えているといった面があり、心のケアなど解決策をすべきでしょうが、自動車による事故もまた、まだまだ改善できる部分はあると思います。それは、道路などの施設面での改善だけでなく、クルマそのものの安全装備や技術もあります。この点については、自動車メーカーに対して、私も大声で価格やサイズで差別することなくできることは全部やって欲しいと微力ながら訴えていきたいと思っています。それが、全員分のヘッドレストの装備であったり、ヴィーグルスタビリティコントロール、サイド&カーテンエアバッグ、プリクラッシュシートベルトなどの比較的安価な安全装備の標準装備化、また近年多く見られるミニバンの3列目シートの安全性なども私は不安視しております。こういった面で改善できる部分も多くこれにより救われることも多いと思います。しかし、一番重要なのはやはり運転者自身の意識ではないでしょうか。本当に事故を0にするためにはやはりすべてを自動運転にするしかないと言われるように、人間が運転している以上、事故は起こるものと考えた方がいいと思います。しかし、無理な運転、無謀な運転、スピードの出しすぎなどルールを守らない運転者がいなくなったら、例え事故が起こっても死にいたるような事故は限りなく減るのではないでしょうか。最終的には道路でもクルマでもなく、人間そのものにかかっていると思います。自動車は自分で運転するから楽しいものです。こんなもの自動になったって何も楽しくありません。その楽しさはやはり安全運転、マナーやルールを守った運転をして初めて味わえるものだと思います。事故を起こそうと思って起こす人はいません。誰もが自分は大丈夫と考え、つい調子に乗ってしまうところから事故は始まります。交通事故で命を落とすことは本当に悲しいことで、あたりまえですが命は戻ることはありません。今日ここを読んだことを機会に、少しでも安全運転をしようと思っていただけたら幸いです。