パンツ

昨日は結局寝てしまった。

私が通っていた高校は、校舎と起雲館という食堂なんかがある建物までの間にパンツスポットがあった。建物の中は大丈夫だが、出た付近が危険。風の強い日には中庭からの風でスカートがめくれてパンツが見えるのだった。何気なく校舎の方へ向かっていると、前から来る女の子のスカートがめくれ、思いっきりパンツが!!!。すれ違うまではかなり気まずいものだが、内心は血の気の多い高校生。通り過ぎると友だち同士で大喜びして、教室に帰ってさらにみんなに話したりしして、なんともバカなことをしていたものだ。しかし、あれは不思議なもので、まったくそういうことを考えていないときだけ見える。今日はパンツ見えないかなぁなんて思って見れたことは一度もなく、そんな時はみんな注意してスカートを押さえて通ったりする。やはりヨコシマな気持ちが伝わるのだろう。

当時はまぁ、まだまだ純情な男子高校生だったから、パンツくらいで喜こべたものだが、ある程度年齢が行くとパンツくらいで大騒ぎしないようになる。しかし、世の中では駅とか電車内とかでパンツを見たがる人が後をたたない。それは、おそらくパンツを見たいという気持ちよりも、パンツを見る行為そのものに興奮や快感を感じるのだろう。もちろん、最初はパンツが見たいとか女子高生が好きとか、そういうところからスタートするのだろうが、最終的にはゲームと同じで、上手に見てバレなかったということに達成感とか大きな満足感を感じるようになる。今度はもう少し大胆に、今度はもう少し破廉恥にと、エスカレートしていく。盗撮なんかも撮った映像よりも、それを撮った時のスリルとか、気持ちの高ぶりを思い出して興奮するんだろう。

今日は、東大卒のエリート経済学者、大学院教授が手鏡で女子高生のパンツを見て逮捕という事件があって、パンツで何か書こうと思ったのだが、こういうことで逮捕されるとは情けない限り。それと同時にやはりまさかあの人が!という驚きもあり、人間わからないなぁと改めて思う。彼は見るからにできる男という印象で、生まれながらのエリートという感じだ。おそらく相当に頭も良く、何に対しても完璧主義なのだろう。そして、まったく自分や自分の仕事に満足感を感じられなかったのかもしれない。そんな達成感とか満足感の気持ちを、少しでも味わえる唯一の時間が、女子高生の下着を覗くという行為だったというのは勝手な推測だが、こういう行為に走るということは、やはり心のどこかに歪んだ部分があって、暴走するという面があるんだと思う。手鏡で今まで積み上げてきた人生はすべて失う事になってしまった。頭では悪いこととか、自分の人生を棒に振るかもしれないとか、十分わかっているが、どうしても止められないのは病気だ。性癖を治すことはなかなか難しいが、心の歯止めが利かないという点は、手を打つ方法もあるかと思うから、こういう人がいたら、早めに専門家に相談することをおすすめする。