マツダロードスター

マツダロードスターがフルモデルチェンジ。7年ぶりのモデルチェンジとはいえ、6月あたりから情報は多く出回っていたし、インターネットや雑誌などでも写真を見る機会は多かったから、今日フルモデルチェンジと言われても、興味深々であれこれ情報を探るというようなことはないかもしれない。新型ロードスターは、ちょっと試乗してみたい1台である。別にモデルチェンジをしたからというわけではない。先日2代目ロードスターに乗る機会があったから。そんな単純な理由で、今ちょっと興味持っている車なのである。

ロードスターのような車には、実を言うとあんまり乗ったことがない。車が好きだと言っても、こういうタイプの車に興味があるのか?と問われれば、そうでもないと答えるかもしれない。その他にもインテグラタイプRとか、S2000とか、インプレッサとかスカイラインGT-Rとか、その手の車にはあんまり興味はないし、私は車にはどちらかといえば快適性を求める。そんなタイプの人間だから、もしかすると一部の車好きからは、私のような人間は車好きと認めてもらえないかもしれない。しかし、そんな思いももしかしたら食わず嫌いなのかなと思う。別に嫌いだったというわけではないが。

乗ることとなったロードスターは、1.8Lエンジンを搭載する「RS」6速マニュアルであった。真夏の太陽の下、オープンにして乗り込んだ車内はスポーツカーらしくタイトなものである。しかし、コペンのような狭さは感じない。狭いことに変わりはないかもしれないが、まぁこのくらいあればいいかなと思えるスペースはある。真夏にオープンで走るという精神はオーナーのこだわりを感じさせ、この点は少しばかり共感する。以前日本でオープンカーに乗ってなんの意味があるのか?という議論を見たことがある。せっかく買ってもほとんどの人がクローズドで走り、オープンにするのは年に何回なのか?という話である。しかし、彼は真夏でも暑さよりオープンの開放感を優先するのだという。日本でオープンに乗るということは、ある程度忍耐も持っていないとダメなのかもしれない。しかし、日差しは暑いが、走り出せば風が入ってくるから、多少は暑さを紛らわせる。とは言ってもやっぱり暑いという感想になってしまう。しかし、夏でも夕方になれば日差しも和らぎ、気持ちのいいドライブを体感できる。また、夏の夜も違った雰囲気があって気持ちいいのではないかと思う。

走りについては、新型ロードスターでもキーワードになっている人馬一体という言葉からイメージされるものに近い。なるほど、これが人馬一体なのか、その通りだ。という感じである。こんな表現をするとオーナーから怒られるかもしれないが、近い乗り物として連想するのは自転車なのだ。でも、これは悪い意味ではない。車に乗せられているというよりは、自転車のように自分の意のままに操れる感覚は同じだし、道路から伝わる情報や車体から伝わる情報がダイレクトに自分に伝わってくる感じや、開放感という点でも同じだ。いわば、そんな古典的な乗り物のにおいがするということである。短い距離の試乗で、久しぶりのマニュアルトランスミッションということもあり、ロードスターの実力を引き出せる運転はできなかったが、私の感じた感想はそんな感じである。

この車は、2人乗りのオープンカーであるが、運転する者と助手席に座る者とでは差があるだろうと思う。運転する者は、この車の持ち味を100%味わうことができる。しかし、運転する楽しさがロードスターの大半を占めるとすれば、助手席に座る人間の楽しさは少ないと見積もるべきだ。オープンの開放感は共通の楽しさではあるが、運転しなければ苦痛な部分も出てくる。それは、室内空間の狭さであり、音であり、乗り心地だ。これらの要素は運転する側からすれば、楽しさの一部になる。しかし、ただ座っているとすれば、ダイレクトすぎる乗り心地やスポーティなエンジン音さえも、うるさいということになる。助手席に乗る人が車が好きでないならなおさらそうだ。特に乗り心地は、やはり生々しく、小一時間乗っただけで降りたときには、ジェットコースターから降りてきたような感覚になった。今月ジェットコースターに乗ったので、その感覚は間違いない。私が新型ロードスターで少し望むのがこの乗り心地の向上である。アテンザほどは求めないが、もう少しフラットに、スムーズな乗り心地になってくれればと思う。真のロードスターファンはそうは思っていないかもしれないが。

しかし、ロードスターという車は、車とは何か?と改めて考えさせてくれる車である。こんなサイトをやっていて、様々な車を見て、そしてこのサイトに訪れる人たちと話をしていて、普段車というものは、実用だとか快適性だとか、人が何人乗れて、こんな装備が付いていて、シートアレンジはこんなにあって、荷物もたくさん詰めて、そんなことばかり考えている。車とはそういうものだと思っている。しかし、ロードスターにはそんな物は1つもない。日ごろ評価している物差しがなんの意味も持たなくなるのである。もしも、その物差しを当てはめるとすれば、ロードスターは限りなく0点になってしまう。しかし、このロードスターという車には、楽しさがあり、また多くのファンがいて、世界中で高い評価を受けている。すると、普段我々がこれが車として評価される点なのだ。車とはこうあることが正しく、また評価されるポイントなのだという点が、すべて間違っているような気もしてくる。逆に言えば、ロードスターに乗り、車ってこれでもいいんだと思うのである。しかし、これはロードスターだから許されるものなのだろう。もしも、この物差しでデミオを作ったら、決して評価されるものはできない。

ロードスターは結論をいえば、とても楽しい車である。車が好きな人のための車であり、わかる人だけ乗ればいいんだよという声が聞こえてくる。この車に乗りながら、車をはかる上で、我々は2つの物差しを持たなければならないと思った。1つは日常、もう1つは非日常である。この2つの物差しに交わるところはなく、完璧に別々の場所にあって、日常に非日常、非日常に日常の要求を求めてはいけない。それを考え始めるとものすごく中途半端なものになってしまう気がする。それだけにロードスターという車は極端な場所にいる車だ。果たしてこの車に自分は合うだろうかと思う。この車だけで何もかもまかなうのは辛いし、それ以前に毎日乗ることに耐えられるかと考えた。やはりこのサイズに1.8Lエンジンを搭載して、これだけしかスペースがなくて、価格もけっこうして、相当な贅沢品だ。少しでも道具なんて言葉が頭を過ぎる人は買ってはいけない。でも、もしも複数所有できる環境があるなら、1度この車を味わってみて欲しい。もしかすると、人生に新たな楽しみを加えてくれる1台になるかもしれない。私自身、そんな環境にあればこういう車が欲しいと思う。新型ロードスターの話はほとんどしなかったが、ロードスターという車に流れる血は代々変わらないと思う。こんな車だという雰囲気だけでもおわかりいただければと思う。